津雲大輔
shape of heart
(2022年時点)
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津雲大輔さんのイメージソングです(初期設定で音量が大きくなっている可能性があるので注意してくださいね)
聴きながら読むとイメージが湧きやすいかも
津雲大輔さんのエピソード集です(読みたいタイトルをクリックしてください)
悪への転身(前編)
津雲大輔
(幼少期)
幼い津雲大輔は「正義」に憧れていた。
ヒーロー漫画を見過ぎた影響もあったのか、口癖は「悪は必ず撲滅する!」だった。
そして…、将来は絶対にヒーロー戦隊に入ると決めていた…。
だからこそ、なれないことを完全に悟った中学生の時はショックだった。
それでも何とか頭を切り替え、22歳の春に、親友である泉獅子王丸と共に「法の番人」である警察の門を叩いたのだった。
しかし、わずか2年だ。
警察官の職を放り捨てるまで!
あれほど正義感に溢れていた津雲が辞めることになったきっかけはいくつもある。
それはまるで、十人十色の運命の女神が、次々と津雲をいざなったかのようだった。
津雲を変えた運命の1つとして、「E木S吾」との出会いを避けては通れない。
E木は、警察内部では「昭和最後の大物ヤクザ」と位置付けられ、身内からは「会長」と呼ばれていた。
年齢は90を超えていたが、新人の津雲にもきちんと敬語を使える器の広い人物だった。
津雲が暴力団対策法に則り、E木の組員を捕まえ、家宅捜索を行うたびに、2人はよく話をした。
暴力団対策法とは、津雲が警察官になる5年前に施行された法律で、イケイケだった津雲は「暴対法の申し子」として、ヤクザ社会から恐れられていた。
「津雲さん、あなたみたいに熱心な人と出会えたことは嬉しいですが、頑張って頑張って社会は良くなりましたか?」
E木の問いかけに、津雲は毅然と答えた。
「俺はそう信じている」
「それは何よりです。ところで津雲さんはアメリカの禁酒法を知っていますか?」
「あぁ、1920年にできたアルコールの製造や販売、輸送、輸出入を禁止する法律だな」
「では、その結末も知っていますか?」
「ブラックマーケットに粗悪なアルコールが出回って死者が続出し、ギャングによる密造と販売が横行して、治安がさらに悪くなったと言われているな」
「今はその状況に似ているとは思いませんか?」
「思わないね。そもそも禁酒法は欠陥だらけの悪法だった。対して暴対法は様々な角度から検証された素晴らしい法律だ。俺はこの法律を守る番人になれていることを誇りに思っている」
「なるほど…。少し質問させて頂いてもよろしいですか?」
「さっきから質問しかしていねーじゃねーか!」
E木は破顔一笑した。
その目は、まるで孫をあやすかのように穏やかだった。
「では、ヤクザが必要悪という私の考えを基にお尋ねします。まず、ヤクザが社会のはみ出し者や排除された者の受け皿となってきた歴史はどうお考えですか?」
「その社会的役割はヤクザが果たすべきではない。自治体なり地域住民が請け負うべきだ」
「では、我々ヤクザの力が弱まると、半グレや外国マフィアの勢力が強まることについてはどうお考えですか?」
「害虫を害虫の手で排除するのを俺はよしとしない。やはり正義の手によって撲滅すべきだ。ヤクザも半グレもマフィアも俺達が何とかする」
「では、義理や仁義など、裏社会の秩序についてはどうでしょう。私達は「堅気の人に迷惑をかけない」「物事の筋を通す」教育も担ってきました。それを排除することは、逆に治安が悪化するとは思いませんか?」
「思わないな。繰り返すがそれはヤクザの役割ではない!」
「なるほど…」
E木は少し考え込む素振りを見せた。
…が、すぐ笑顔に戻った。
「面白いほど話が嚙み合いませんね!」
「あぁ」
津雲も苦笑した。
「これが住む世界の違いなんだろう。俺も闇の中で生きていたら、多少は共感してやれたかもしれないがな…」
「いいんですよ」
E木は優しい笑顔を見せた。
「それも世の中です。では10年後に答え合わせといきましょう。私はもういませんが、この約束だけは覚えていて下さい。社会が今より良くなり、悪が減っていたら津雲さんの勝ちです」
これがE木S吾との最後の会話だった。
E木はその3か月後、老衰のため亡くなった。
それを同僚から伝え聞いた津雲は、少しホッとした自分にショックを受けた。
何ということだ。
年老いたE木に、今の暴対法は無慈悲過ぎると感じていたことに気付かされたのだった。
津雲は唇を強く噛みしめて天を見上げた。
【そうだよな、E木さん…】
賃貸物件には入居できず、銀行口座を開設できず、銀行から融資も受けられず、生命保険にも入れず、車も自分名義では買えず、レジャー施設や宿泊施設では入場を制限されてしまう。
こんなクソな余生なんて、あのE木には送ってほしくなかった…。
E木との出会い。
それは、きっかけの1つでしかなかったのだが、不思議なものだ。
退職した津雲は、転がる石のようにアウトローへ入り込んでいった。
まるでE木の後を追うかのように。
津雲は力が欲しかった。
がむしゃらに力を欲しがっていた。
警察に入って2年。
力が足りないばかりに理想が理想のままで終ってしまう悔しさを何度味わってきたことか。
力さえあれば、正義や悪といった枠組みすら飛び越えられる気がしていた。
この世には力が必要。
力のない人間が何を語っても相手にされない。
実際、津雲が声高に叫んできた正義は、警察の中でさえ「中2病w」と笑われていたのだった。
しかし、力さえ持ってしまえばどうだ?
たとえ間違った意見でも、人々はとりあえず話を聞かざるを得なくなる。
ただ…、それは一介の警察官であり続ける限り、難しかったのだ…。
退職した津雲は必死で考えた。
【ここからどうやって力を手に入れる?】
辿り着いたのは、シンプルな結論だった。
今の民主、資本主義社会では、「人をたくさん集める」か「お金をたくさん集める」かだと。
そう。世の中、人をたくさん集めればお金につなげやすく、お金をたくさん集めれば人が寄ってくる。
ただ、津雲には人脈も人徳もなかった。
どんなパフォーマンスや演説をしても、万単位のファンや信者を集められないことは自分が一番よく分かっていた。
ではどうするか?
再び津雲は必死で考えた。
【やはり金を集めるしかないか…】
1000万単位では話にならない。
自分の理想を実現するには、数億、数十億の資金が必要だった。
ではどうやって集める?
現状と未来を照らし合わせた結果、迷いは消えた。
…というより選択肢は1つしかなかった。
リスク覚悟で、グレーゾーンに飛び込むしかない。
そうと決まれば、「悪は急げ」だ。
津雲は、真っ先に頭に浮かんだ極悪人へ電話をかけた。
荒巻源治。
元E木組の幹部。
E木の死後、E木組は解散し、組員は路頭に迷っていた。
生前、津雲が啖呵を切っていた「国や自治体や地域住民が受け皿になる」は、理想論でしかなかったのだ。
とは言え、1年前はバチバチに敵対していた幹部だ。
すんなり仲間になってくれるとは思えない。
【それでも生きるためには、奴らも割り切ってくれるかもしれない】
そんな淡い期待もあったのだが…。
眉毛のない荒巻は、再会した早々にキレていた。
「てめぇはまだ年上に敬語も使えねぇのかよ!」
「あン?」と昔の癖が出そうになった津雲は頭を掻いた。
「そう…ですね、ハハ。今はお互い一般市民ですものね。で、荒巻さんは今、どんなシノギをやっているのですか?」
「ナメてんのか! パン屋のバイトだよ。朝早く起きて焼いてんだよ!」
津雲は少し想像した後、込み上げてくる笑いを抑えるのに必死だった。
「か、かわいいですね。よーく、に…、似合ってますよ…」
「オレたちゃ殆どが中卒だからな。今更まともには働けねぇんだよ」
「なるほど。それで、さっきの話なんですけどね。ここは1つ、過去は水に流して手を組むのはいかがでしょうか?」
それを聞いた荒巻が、急に目を閉じて、しばらく沈黙した。
「まさか…な」
荒巻にしては珍しい、小さな声が大きな部屋に舞い上がった。
「オヤジが最後に言っていたんだよ…」
「E木さんが…。何をですか?」
「津雲君は警察に向いていない。半分の確率で警察を辞めるかもしれない。そして1割の確率でお前達を頼るかもしれない。その時は彼の下について支えてやってくれってな」
「そんなことを…」
「しかし本当にそうなるとは…。分かった。さっきの話、引き受けよう。他の奴らにも連絡するから少し時間をくれ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「それと…その気持ち悪い言葉遣いはやめろ。いつもの荒い口調でいい」
「でも…」
荒巻は天を見上げて息を大きく吐いた。
そして今度は深く頭を下げた。
「今日からあなたが社長で私達はついていく社員です。そのぐらいの礼儀はわきまえています。どうぞこれからご指導、宜しくお願い致します」
荒巻は、いつまでも深く頭を下げ続けていた。
こうして元E木組の人間5人が、TSUGUMOグループの初期社員となった。
津雲はカタギとしての社員教育から始めたが、さすがはE木の舎弟達だ。
ある部分では、一般人より遥かに倫理観が強かった。
一方で津雲は、警察で同期だった阿倍野潤の元を何度も訪れていた。
相談に行ったというよりは、チェックをお願いしていた。
「自分の事業計画に違法性はあるか?」と。
法律に詳しい阿倍野は最終的に断言した。
「グレーだがアウトではないな」
つまり「セーフ」だ。
それでも阿倍野は、ずっと顔をしかめていた。
「津雲…覚悟はあるんだろうな。元E木組を使う情報はとうに警察に把握されているぞ。今後は徹底マークされる」
「あぁ覚悟はできている」
「あと、俺に話したのは誤算だろう。俺からのお墨付きをもらったつもりかもしれないが、逆だぞ。俺は周り以上にお前を監視する。そしていざって時は必ず俺が逮捕する!」
津雲は小さく笑った。
「分かっているよ。キャリアに傷をつけたがらないお前だからこそ、あえて話したんだ」
「そうか…。何を言ってるのか分からないが…泉には話したのか?」
「いや、獅子王丸に反対されるのは分かり切っていたし、余計な心配もかけたくなかった。それにいざとなればあいつは、お前と違って情に流される可能性がある」
「まぁそうだな…」
阿倍野の顔が、一瞬だけ同期の顔に戻った。
しかしすぐに、元の険しい警察官の口調に変わった。
「今日でお前と会うのも最後だ。もう俺に連絡はするなよ」
立ち上がってドアーを開けた津雲の背中に、再び声が届けられた。
「俺は昔のお前を知っている。お前の良心はまだあると信じているぞ」
-つづく-
悪への転身(中編)
津雲大輔
(青年期)
商取引におけるグレーゾーン。
それは、合法と非合法の境界線を狙った商売を指す。
リスクは高いのだが、ホワイトビジネスより儲けが莫大になるため、手を出そうとする人間が、常に一定数存在する。
津雲の事業計画において、阿倍野が最初に指摘したのは、その「悪の部分」だった。
限りなく「催眠商法」に近いと。
催眠商法。
集団催眠的な勧誘方法により、客の判断力や思考力を麻痺させて、高額な商品を買わせるやり方だ。
ただし、仮に津雲の事業が催眠商法だったにせよ、違法ではない。
単に、特定商取引法の規制対象であるだけなのだ。
さらに阿倍野は、クーリングオフ(契約後8日以内の取り消し)についても指摘していた。
津雲がこれから扱う商品は100万円以上の高額商品だ。
トラブルが起こる確率が非常に高いと。
それでも、そのトラブルに警察は介入できないのだった。
「民事不介入の原則」があるため、そこは弁護士の出番となるためだ。
阿倍野は、津雲に何度も釘を刺していた。
「俺が怪しいと思ったらすぐに動くからな。お前は詐欺罪や特商法違反にあたらないか、常に怯えて生きるんだな」
これには大人しく聞いていた津雲も、僅かに反応したのだった。
「阿倍野、ちょっと確認していいか?」
「おう」
「俺がやろうとしているのは違法なのか?」
「違う…」
「俺がやろうとしているのは催眠商法なのか?」
「厳密には…、違う」
「ここまでありがとう。心からお前に感謝しているよ」
これで準備は整った。
いよいよTSUGUMOグループが世に出ようとしていた。
「ハイパージョーカー」
それがTSUGUMOグループが取り扱う健康器具の名前だった。
まず津雲は、30人ほどが入れそうな部屋を用意した。
そこへ温熱と電気が流れる健康増進チェアー(ハイパージョーカー)を設置する。
あとは「ハイパージョーカー無料体験会場」と銘打って、集客するだけだった。
もちろんチラシも撒くが、一番大切なのは口コミだ。
一度、体験した人が友達を連れてくる限り、無料体験を続けるからだった。
津雲は、事前にあらゆる病気を勉強していた。
その人の不調を理解していれば、適切な相槌も打てるし、簡単なアドバイスもできるし、同じ症状で苦しむ人の体験談も紹介できる。
もちろん医師法があるので、確定診断は絶対にしない。
診療もしないし処方箋を出すこともないが、パソコンやカルテばかり見て患者と向き合おうとしない医者に不満を持っている層にとって、津雲との会話は救いとなった。
とにもかくにも、まずはハイパージョーカーを体験して気に入ってもらう。
⇒気に入って通ってもらう。
⇒無料体験を継続するために友達を誘ってもらう。
⇒友達が体験して気に入ってもらう。
これが津雲の事業における成功サイクルだった。
ただ、これを実現するには、実際に体験者の症状が「良化」しなければならない。
どんなに津雲の健康講座が楽しくても、良くならなければ、気に入ることも通うこともないのだ。
それでも津雲は、絶対的な自信を持っていた。
少なくても、体験者の7割以上は、本当に体の症状が良くなると。
種明かしはこうだ。
まず根本の考え方として、「体の隅々まで血流を良くする」という大原則がある。
「血流が良くなれば免疫力が上がり、自分の中にある自然治癒力が高まる」ためだ。
津雲はこの言葉を、お客さんに何度も繰り返すことになる。
ハイパージョーカーの温熱と高圧電位こそが血流を促すのだと。
実際、ハイパージョーカーに座ればお尻から温熱が伝わり、時にはピリリとした電気刺激も感じることができる。
世界中のどんな学者を集めても、「本当に血流が良くなる可能性は否定できない」のだった。
そして重要なのはここからだ。
津雲という人間に対する信頼と好意は、そのままハイパージョーカーへも向けられる。
津雲は、健康講座を開くだけでなく、1人1人の話もじっくり聞く。
しかも1日100人以上、週に1000人以上訪れるお客さんの全てのフルネームを記憶して、ちゃんと名前で対話をしているのだった。
仮に同じ治療なら、好きな人から受けるのと嫌いな人から受けるのとでは、効果は雲泥の差になる。
「病は気から」という言葉がある。
ならば「健康も気から」作り出すことは可能だろう。
会場は、いつも明るい笑い声で溢れた。
津雲の毒舌を織り交ぜたユーモアもそうだが、顔馴染みになった仲間達が集まれば自然と笑いも出る。
そして言うまでもなく、「笑い」の健康効果は下手な薬より高い。
津雲の天才的なところは、会場の大半を「津雲信者」で埋められた点だった。
E木組の元幹部は、「社長なら超一流の詐欺師になれますよ」と褒め称えた。
システムとしてはこうだ。
津雲は、通うことを決して強制しない。
「体の改善が見られなければ、通うのを止めてください」とまで言う。
そのため会場に集まるのは、体調が良くなったリピーターと半信半疑で初体験する人となる。
そしてその割合を、常に9対1に調整した。
おそらく1割の初体験の人は感動するはずだ。
最初は椅子の温かさと電気刺激に。
次に、津雲が自分の体が良くなる道筋をハッキリと示してくれることに。
最後に、実際に良くなったリピーター達の喜びの発表が、怒涛の如く続くことに。
会場はすでに、希望しかない天国なのだ。
1か月ほど経った頃には、「ハイパージョーカーを今すぐ売ってくれ!」というリピーターが複数現れた。
しかし津雲は「無料体験期間中」を盾に絶対売らなかった。
そのため、買いたくて買いたくてしょうがない信者達が、毎日会場を訪れることとなる。
狂信的な信者が増えるとどうなるか?
会場の熱気は凄まじいものになり、言わば、集団催眠状態になる。
津雲はそれが狙いだった。
集団催眠状態は素晴らしい効果を生み出す。
車椅子で訪れた人が帰りはスタスタ歩いて帰る奇跡など、すでに会場にいる人は、当たり前のように受け入れていた。
集団催眠状態を作り出し、心身に良い影響を与えられる人間は、世界においても少数だ。
津雲はカリスマ教祖、もしくはゴッドハンドを持つ治療家のような位置を、システムと才能で作り出したことになる。
きっかけは血流を促す椅子。
そして隣に座っている1人1人が、そして会場全体のエネルギーが「良薬」になっているのだった。
もちろん、この熱気の力こそが、阿倍野に何度も確認してもらった点となる。
TSUGUMOグループがやろうとしているのは、「催眠商法」ではなく「催眠療法」なのだと。
3か月も経つと、無料体験会場は大盛況となり、中に入れない人で溢れた。
あまりの混雑ぶりに周辺地域からの苦情も入り、時々、パトカーが巡回に来た。
過去のトラウマから社員の一部はそれに怯んだが、津雲自身はどこ吹く風だった。
しかし、今日のパトカー3台は、意味が違った。
社員やお客さんの車が傷つけられる事案が連続で起きたからだった。
明らかに故意の嫌がらせだが、今日で4日目となる。
それは、警察の力では解決できないことも意味していた。
その夜。
さすがの津雲も頭を抱えていた。
ある程度は予測していたが、この手の嫌がらせには打開策が見えない。
そこへ、専務の柄本剛士が声をかけてきた。
「夕方に見回った時、昔、見た顔の奴がいました。事務所も分かっていますので、ちょっと今から行ってきます」
「そうか…。やはりそっち系だよな…。任せるけど、くれぐれもトラブルは起こすなよ」
「フッ、『蛇の道は蛇』ですからね。お任せください」
「それだよ!いい加減、今の立ち位置に慣れろ!」
柄本は神妙に頭を下げた。
「すみません社長、『餅は餅屋』の間違いでした」
次の日から嫌がらせはピタリと止んだ。
「ありがとう。助かったよ」
津雲は柄本を呼んでねぎらった。
「一応確認するけど、暴力はふるってないよな?」
「当然です。話し合いのみで分かってくれました」
「お前、口下手なのにホントかよ?」
「はい。社長にいつも言われているように、真心こめて笑顔で話しただけです」
「それだよっ! かわいそうに。絶対笑わない過去のお前を知っている者からしたら、さぞかし怖かったろうなぁw」
警察で解決できないケースは、世の中にごまんとある。
それを元ヤクザが簡単に解決した。
そんなケースも現実にある。
津雲は今更ながら、生意気だった過去の自分が恥ずかしくなった。
そしてE木へ、そっと手を合わせたのだった。
-つづく-
悪への転身(後編)
5か月が経っても、ハイパージョーカーの人気は留まることを知らなかった。
会場を広くし、回転数も増やしたが、会場の周りには人が溢れた。
初日は4人のお客さんで始まった無料体験。
それが今や、1日700人。1週間で5000人に達した。
津雲は、大幅に増員させた社員を集めると、いよいよ販売に踏み切ることを伝えた。
翌日から、会場には「無料体験終了まであと30日」の看板が掲げられた。
ここからは、毎日、カウントダウンが進むのだった。
信者達は、この30日以内に選択を迫られる。
・次の無料体験会場となる、60キロ離れた隣の県まで通う。
・体調が良くなったことに満足し、終了する。
・健康を維持するため、ハイパージョーカーを購入する
津雲はいずれの選択でも「可」であることを強調した。
ただし、ハイパージョーカーは「本当に変化があった人」「良くなった人」にしか売らない条件をつけた。
形態としては「押し売り」の逆なので、「引き売り」となる。
つくづく面白いのは、津雲が売るのを渋るほど、商品の心理的価値が上がり、欲しがる人が増えたことだった。
実の話、津雲のビジネスは、総体験者数が5000人になった時点で完結していた。
その時点で、成功は約束されていたのだ。
津雲が気にしていたのは、常に母数だった。
半分の50%に気に入ってもらえても、2500人の信者が誕生する。
その中で、実際に買ってくれるのは、わずか1割でもいい。
1割でも、250人×100万円で2億5千万円の売り上げとなる。
津雲が一貫して強気で、媚びる必要もなかったのは、この母数コントロールができていたからだった。
いかがだろう。
おそらく…ここまでの話は一般の人には想像もつかないだろう。
空想やマンガの世界の話かと思うかもしれない。
しかし、これが現実だった。
今も似たようなことが、いや、もっと悪質なことも、日本のどこかで行われている。
これがグレーゾーンビジネスなのだ。
結局、TSUGUMOグループは、半年間で4億2千万円を売り上げた。
かかった経費は、全員の人件費を合わせても1億円。
純利益3億2千万円という数字を残して、1回目のビジネスを終えたのだった。
だが、これで終わりではない。
2回目のビジネスが、1週間後に場所を変えて始まる。
そのための準備は、すでに別部隊の社員が整えていた。
津雲の計画では、これをあと5回。今後3年という時間をかけて行うのだ。
津雲にとって唯一の誤算は、税金だった。
せいぜい納めるのは3割程度だと思っていたのだが、初回は5割近くを持っていかれてしまった。
激怒した津雲は、すぐに顧問税理士をクビにし、有名な会計事務所に鞍替えをした。
どんな世界にもグレーゾーンはある。
税金で言えば、脱税(ブラック)と節税(ホワイト)の間に、グレーがあるということだ。
津雲は、担当の公認会計士へ、くれぐれも脱税だけ「は」しないように釘をさした。
有能な人間なら、それで全てを汲み取るものだ。
会計事務所からは、積極的な設備投資を打診された。
利益をプールするのではなく、どんどん次の準備を進めていったほうがいいと。
そのため津雲は、計画を前倒しして、土地や建物を買う準備を始めることとなった。
津雲は最初から、ハイパージョーカービジネスは3年で卒業すると決めていた。
社員の多くは「これだけ儲かるのになぜ3年しかやらないのか?」と首を傾げた。
しかし、どう考えてもこのビジネスモデルは3年が限界だった。
まず、津雲の心身が持たない。
100人以上の狂信的信者のケアを24時間365日。
例えば、夜中の2時に、1人暮らしのお婆ちゃんから「眠れない」との電話がかかってくるのはザラだ。
そんな時も津雲は、話をいつまでも聞き続け、最後は「明日、ハイパージョーカーに座りに来てくださいね」と声をかけたのだった。
加えて、「狩場」の問題がある。
日本全国、どこでもこのビジネスが成立するわけではない。
やはり適した場所と向かない場所に分かれるのだ。
地域における限られた「狩場」。
その場で根こそぎ狩っていけば、しばらくそこは不毛の地となる。
それを何年も繰り返せば、このビジネスが先細りしていくのは明らかだった。
最後に、存続自体が本当にギリギリなのだ。
ちょっとでも気を許せば、すぐに警察に捕まる気配は常に感じていたし、同業他社からのマークや狩場争いにも厳しいものがあった。
元々、資金作りが目的で、延々と金を稼ぎ続けたかったわけでもない。
だからこそ津雲は計画通り、「ハイパージョーカー販売」を6回行い、粛々と、2003年6月30日に完全撤退したのだった。
総売り上げは、ちょっとした台風並みのスケールだったが、税金を20億円強、納めたことも付け加えておく。
いよいよTSUGUMOグループは、次のステップに入るのだ。
2004年8月25日。20時半。
泉獅子王丸と阿倍野潤は、仕事終わりに居酒屋へ寄っていた。
2人でお酒を飲むのは久しぶりだった。
話題は、警察内部で再び名前が出てくるようになった津雲大輔のことだった。
阿倍野が吐き捨てるように口を開いた。
「あいつはどこまでもグレーで勝負する気なんだな。レストランやカフェで止めておけば俺も目を瞑ったが、バー、ゲームセンター、パチンコ・スロット店ときたら、もう黙ってられないぞ」
それを聞いた泉獅子王丸が少し首を傾げた。
「どうだろう?グレーでも管轄は俺達、警察になるんだから、これまでの怪しげな商売よりリスクは減るんじゃないか。警察の監視下ということは、警察に守られているとも言えるからな」
「ん、そうとも言えるか…。確かに立場上は俺達が親で、あいつは子供みたいなものだよな。そう考えると気分は悪くないな、ハハッ」
その後、しばらくは昔話を含めた他愛もない話が続いた。
同期の中では、泉、津雲、阿倍野の3人が特に仲が良く、色々な話をしたものだった。
1時間ほど経過した頃、阿倍野がため息をつくように口を開いた。
「しかしあいつは完全に向こう側に行ったんだと改めて感じるよ…。もう俺達とは住む世界が違う。あいつの周りには今や問題のある奴ばかりだ。昔は正義感が強い奴だと思っていたけど、本質は堕落した、心の弱いクズだったんだな」
「取り消せ」
獅子王丸が静かに凄んだ。
「ん? どうした泉?」
「あいつは罪へ転身したわけではない。悪への転身だ」
「大差ないと思うが…」
「俺も最初はショックだった。しかし今は、あいつが警察を辞めて悪へと潜入してくれたことを、助かるしありがたいと思っている」
「潜入? どういう意味だ?」
「今の社会には正論だけでは救えない人達がいる。今の社会問題を解決するのに善人だけでは限界がある。ではどうする? どうやって救う? どのように解決する?!」
獅子王丸の声が次第にヒートアップしていった。
阿倍野は慌てて「シーッ」とブレーキをかけたが、勢いは止まらなかった。
「大輔は自分を捨てたんだ! 皆のために! 誰からも誉められることのない、後ろ指を指されるその道を、光を浴びることのない世界を! 平穏の存在しない修羅の道を! 一体誰がそれを選べる!?」
阿倍野はまず、周囲の冷たい視線に対して方々へ頭を下げた。
そして言葉を続けた。
「いやいや泉は津雲を買い被り過ぎだよ。あと飲み過ぎだな。ちょっと水を飲め」
渡された水を一気に飲み干した獅子王丸は、空になったグラスを力なくテーブルに置いて呟いた。
「俺達2人はまだ、警察内部でいいカッコをしている。それが全てだ…」
2003年の下半期。
TSUGUMOグループは、カフェやバーやゲームセンターやパチンコ・スロット店を次々と展開させていった。
それは、同業他社にとっては脅威でしかなかった。
「黒船来襲」
まさに当該地域においては、そう感じたことだろう。
そもそも「元警察官」と「元ヤクザ」が手を組んでいる得体の知れない会社なのだ。
付き合い方も向き合い方も、適切な言葉遣いすら分からない。
また、銀行融資が受けられない業界において、異例とも言える出店スピードは、様々な噂を生み出した。
「健康器具販売の成功で無尽蔵の資金を持っている」
「E木組の隠し財産を使っている」
「警察がバックについている」
実際、TSUGUMOとの間に起きたトラブルの殆どは、TSUGUMOと敵対する側が捕まったり指導を受けていたので、一層不気味さが増したのだった。
社会は様々な顔を持つ。
健全と不健全。
表と裏。
理性と欲望。
光と闇。
TSUGUMOグループが関わっているのは、常に後者だ。
時は2014年。
TSUGUMOは、わずか10年あまりで、地域における後者の社会を支配した。
いや、支配したという表現は適切ではない。
影響下においた、意識せざるを得なくした、というニュアンスのほうが正確だ。
もうこの地域でTSUGUMOグループを敵に回そうと考える人間はおらず、自分達の店に実害が出ないよう、もしくは高く買い取ってもらおうと画策する人間が大勢を占めた。
一般の人は気付いていないだろう。
風営法で規定された店の総数は変わっていないため、見た目も派手さも街に変化はないのだ。
既存のお店の中身がTSUGUMOに置き換わったり、TSUGUMOに吸収合併されていっただけなのだった。
それでも裏社会に関わる人間で、津雲大輔の名前を知らない人間は、もういない。
何をするにせよ、多少は津雲の顔色を伺う。
味方も多いが敵も多い。どちらにせよ無関心ではいられなくなる。
トップに立つとはそういうことだった。
力が欲しくて警察を辞めた人間が、20年あまりの時間をかけて、多少なりとも力を持てるようになった。
金も人も、昔では考えられないくらい掌握している。
しかし津雲は、驚くほど何もしなかった。
街にとって良いことも悪いこともしなかった。
表向きの権力はゼロだ。名誉もない。
市民の誰も、津雲を見ても分からないし、隣を通り過ぎても気付かない。
この辺りでは潜在的な力を持っていることも、市民生活に影響を出せる人間であることも。
例えば、津雲がその気になれば、思い通りに動く議員を10人は送り出せる。
それを人々は、フィクサーと呼ぶのだが…。
しかし津雲は動かない。
なぜ津雲は動かないのか? どうして何もしないのか?
すでに1つの目的が達成されていたことは、挙げられるだろう。
この世の中、ロクでもない人間に大金や権力を持たせるとロクなことにならない。
大金や権力とは、トランプでいう「ジョーカー」みたいなものだ。
だからこそ、それが他に渡らないようにTSUGUMOグループがキープしている。
ただキープして止めているだけで行使はしない。
それだけでも大きな意味を持つ。
実は、2010年から少しずつ、この地域の犯罪件数が減っていた。
ゼロになることはないだろうが、特に凶悪犯罪が減ったことは、警察内部でも評価されていた。(特に阿倍野の出世に役立った)
もちろんそれがTSUGUMOグループのおかげかは分からない。
仮にそうだとしても警察は絶対に認めない。
TSUGUMOグループが持つ潜在的な力。
いつかはそれを使う時が来るのかもしれない。
ただ、先日の役員会では「次のターニングポイントが来るまでは待機」との社長命令がなされた。
それに対する憶測は流れたが、決定自体に異論は出なかった。
理由は明白だ。
社長以下、全員が分かっていたからだ。
自分達がロクでもない人間であることを。
そして願うように待っていたからだ。
安心してバトンを渡せる人間が現れることを。
-fin-
津雲さんの怖いイメージは変わりませんが、理解不能だった恐れは無くなった気がしますぅ
獅子王丸さんが津雲さんをネッキャンに誘ったのだから、まぁこのような背景だろうとは想像していました
称賛はできません。ただ、同じ空気を吸うことに抵抗は無くなりました
って…ボス若い時、めっちゃイケメンじゃないっスかー!
なんか嫌です!
500円玉貯金
当時の日記より
「嘘をついた時は500円玉貯金をしよう」
そう決めたあの日から、今日でちょうど10年経った。
でまかせまみれの人生だ。我ながら多くの嘘をついてきた。
いい嘘、悪い嘘、優しい嘘、傷つける嘘…。
最近になってようやく「取り返しのつかない嘘」や「後悔する嘘」が減ってきたのは朗報か。
逆に、無意識に小さな嘘をついてしまう割合が増えたのは反省すべきだろう。
嘘のテクニックがどれだけ磨かれても、何の自慢にもならないのだ。
古びた貯金箱をそっと開けてみた。
中身を全部出しての気になるトータル額は…?
「何だとっ!?」
声が出てしまうほど、びっくりするほどの大金だった。
ふーーっ、俺はこんなにたくさんの嘘をついてきたのか。
高級外車を2台買えるほどではないか…。
いや、そこまではない。
またしても嘘をついてしまった。500円玉を1枚足そうw
今日はこのお金で、もっとも嘘をついてきた人へプレゼントを贈るのだ。
思えばその人には、貯金を始める以前から嘘をついてきた。
俺についてくれば、いずれは警察庁長官夫人で、豪邸に住まわせてやると大見得を切ったのも、結果として嘘になってしまった。
だからせめて今日くらい、豪華なホテルで王女様気分を味あわせてあげよう。
それくらいの金額なら貯まっているのだ。
500円玉貯金を始めたのが結婚式当日の朝だった。
だから今日が10回目の結婚記念日となる。
素直に感謝の言葉を述べたら、この貯金箱は捨ててしまおう。
俺ももういい年になったし、さすがに面倒くさい。
そして明日からはせめて、彼女にだけは嘘をつかないようにしよう。
-f i n-
ボスはホント奥さんを愛しているニャー
かわいいとは一体何なのだ!?
かわいいとは何なのだ?
妻は昔から「かわいいー!」という言葉を多用する。
結婚する前は、その言葉に全く共感できなかった。
そもそも男は物事を「カッコイイ」か「カッコ悪い」かで判断する生き物だ。
「かわいい」という概念自体が分からない。
付き合い始めた頃は、意味不明の「かわいいー」にイラついたり、彼女自身を良く見せるための「あざとさ」ではないかと疑ったこともあった。
しかし結婚して20年。今も変わらず言い続けている妻を見れば、それが彼女の本質であることが嫌でも分かる。
正直に言おう。
俺の心の様が少しずつ変わっていったことを。
結婚して5年目くらいからは「かわいい」と言っている妻の顔だけを見るようになっていた。その時の妻は、まるで赤ちゃんの笑顔のように純粋でかわいかったのだ。
10年経つと、妻の言う「かわいい」を少しずつ理解できるようになった。
妻の見えている世の中には、こんなにも「かわいい」が溢れているのか…。
朝、道に咲いている花を見て「かわいいー」。昼、一緒に買いに行った洋服を見て「かわいいー」。夜、TVに映る小動物を見て「かわいいー」。
そして素直にかわいいと言える妻は、やはりかわいかった。
俺は妻を通して「かわいい」をさらに広く深く学習していった。
人生にどれだけ役立っているかは分からない。
公共の場で「かわいい」と発言することもあり得ない。
俺の世界では、ナメられたらシマイなのだ。
ただ、とてつもなく心身が疲れた時、妻の「かわいいー」を聞くと、力みが抜けていき、それが新たな幸せともなっていた。
20年経って、お互い白髪が出始めた今となれば、ようやく学習の成果も出つつある。
「ほら京子、見ろよ、あそこにあんなカーワイーのがあるぞー」
「ホントだ! かーわいーっ!」
-f i n-
ボスったら、かわいいのぉ…
ほら見て見てーっ! 私かわいい!?
彩美さん…ボケのつもりだろうけど、本当にかわいいんで、皆、突っ込めないでいますよ…
全ては自分のために
当時の日記より
俺は人のために行う行動を一切信じない。
そもそも「人の為」と書けば「偽」になる。文字通り、いつわりだ。
この会に入った当初は、綺麗ごとばかりを抜かす奴らの集まりなら、すぐに辞めると決めていた。
ただ…、思ったより個性的な奴らで骨もある。面白い奴もいれば、俺より悪そうな奴までいたw
まぁ確かに最初は「ネッキャン三大菩薩」と呼ばれている奴らには虫唾が走った。
それでも次第に「自分のためにもなるから」やっていることが分かって誤解は解けた。
ここでは誰が何をやったっていいらしい。
隠し事をしないで本音で話せる場所を作りたいのなら挑戦してみればいい。
ただ俺は、自分のために行っている行動のみを信じるだけだ。
俺は、
自分のために一生懸命努力している奴が大好きなのだ。
-f i n-
ボスより悪そうな人なんて、いますかペン?
俺は津雲さんの言いたいことがよく分かりますし、共感しますよ
津雲大輔の名刺(1)
津雲大輔が初めてBサインを訪れた時、真っ先に駆け寄ってきたのは、意外にも佐々木拓海だった。
こんにちは!僕はここでもバイトをしている佐々木です!
おう!兄ちゃんよろしくな
えっと…実は津雲さんには1年前にお会いしているんですよ
ん?1年前…?
津雲は首を傾げた。
予想はしていたがここまでとは…。
佐々木拓海は笑顔を見せながらも、内心は泣きたい気持ちで一杯だった。
今日のコンビニのバイトを、急遽1人で回すことになったのだ。
笹島くんが風邪をひいてお休み。
夢菜ちゃんは電車の遅延のため、あと1時間は到着しない。
そして目の前には、先ほどから長蛇の列。
お客さんがイライラしているのがヒシヒシと伝わってきている。
大人になると色々なことが分かってくるが、感情の高まった人間は口を抑えるのが難しくなる。
「何で今日はこんなに混んでるの?」
「すみません。ちょっとウチのスタッフが足りていないせいで、ご迷惑をおかけしております」
「あれ?今日はあのかわいい店員さんはいねーの?」
「すみません。今日はちょっと遅れて来るんですよ…」
「おたく、けっこう並ばせるわねー」
「申し訳ありません。またよろしくお願いします」
全部で40人ほど裁いただろうか。
ようやくレジ前から人が消えたと思ったら、横から勢いよく買い物カゴが差し出された。
「ほらよっ!」
声の主を見上げると、これまでとは人種が異なる、明らかにヤバそうな男性だった。
「あ、すみません、長らくお待たせしまして!」
慌てた拓海に向けて、893?は意外なほどの笑顔を見せた。
「何言ってるんだよ。1人で大したもんだよ。色々文句言われても笑顔で対応して…」
【あ…】
この人は並ばずにずっと横で待っていてくれたのだろうか?
「まぁ大変だったな。お疲れさん。ほれ、これはお前のだ、飲んどけっ」
男性は笑顔で、レジを通したばかりの栄養ドリンクを手渡してきた。
「えっ?」
予想外過ぎて頭がついていかない。
こちらは正直、指を何センチ詰めさせられるのかドキドキしていたのだ。
「まぁこれからもトラブルは起こるだろうし、色々な客が来るだろうからな。何か困ったことがあったらここに連絡しろよ」
そう言うと、男性は1枚の名刺を置いて店を出て行った…。
あれから僕、ずっと大切に持っているんです…
おぅ確かに俺のだな
この名刺、名前だけであとは何も書いていないんで、連絡の取りようもありませんでしたけど、まさかこんな形で再会できるなんて…嬉しいです!
おぅ、何言ってるのか全く分からないけどよろしくなっ!
-f i n-
津雲大輔の名刺(2)
Bサイン、イートインスペースの奥にある、柱に隠された死角。
そこに、津雲大輔が巻誠をそっと呼び寄せた。
「巻、お前には俺の名刺を渡しておく。困ったらこれを出せ」
「え? 困ったら、ですか?」
巻は明らかに戸惑った表情を見せた。
「僕には思い当たることがないんですけど…」
「これから必ず来る!」
そう言いながら、津雲は半ば強引に名刺を握らせた。
そしてここからは、二人のヒソヒソ話が加速していった。
「現に俺は、前からお前の名前を知っていた。お前が望む望まないに関わらず、お前はすでに業界では有名人であり、狙われているんだ」
「狙われる? 何で僕がそんな怖いことに?」
「簡単だ。お前を排除しようとする勢力と味方に引き込もうとする勢力がいるからだよ」
「ですから何でまた、ただの大学8年生の僕を?」
「8年生?」
津雲が少し呆れたような声を出した。
「お前はホント平和ボケしているなぁ。いいか、お前が14人の女を囲っているとなると、それだけでトップクラスの店と同等の力があると見做されるんだよ」
「囲っているって言い方はひどいですけど…、店っていわゆる…」
「あぁ風俗店だよ。いわゆるキャバクラやガールズバーだな。そこで一番大変なのは女の確保だ。今は特に人権に厳しくなっているからな。スカウト行為は法律で制限されてどこも苦労している」
「はぁ…」
巻はまだ状況が飲み込めていなかった。
「ところがどうだ? お前をスカウトに雇うなり、店を任すなり、グループの幹部に引き抜いてしまえば?」
「僕はそんなことやらないですし、頼まれても断りますよっ!」
「分かっている。だから奴らはお前がそうせざるを得ないような卑劣な手を使ってくることを分かれ。もう一度言うぞ。お前はもうリストに載っているんだ…」
静寂がしばし続いた後、巻が絞り出すような小さな声を発した
「無茶苦茶怖いんですけど…」
「そうか。ならあと9枚渡しておいてやる」
津雲は胸ポケットから、さらに名刺を取り出して巻へと突き出した。
「とにかくこの名刺がお前についていることを知らしめろ」
事の重大性を理解したのか、巻は渡された名刺をしげしげと見つめた。
「この名刺…、津雲さんの名前しか載っていないですけど…、大丈夫ですか?」
「名前以外は重要じゃねぇからな。どうなるかは分からないがこれも縁だ。全力でお前を守ってやるから安心しろ」
「まさかこんなことになるなんて、全く想像していませんでした…」
「大丈夫。命を狙われているわけじゃない。ほんの少しの辛抱だ。きちんと後ろ盾がついていると知れ渡れば、すぐにリストから外され、お気楽な日常をまた過ごせるようになるさ…」
「そうなんですね。何か…ありがとうございます。とにかく今は感謝の言葉しか出てきません。そしてすみません。僕、津雲さんを誤解していました」
「まぁ気にすんな。期間限定でも仲間は仲間だからな」
「何か涙が出てきそうに…。あ、これからボスって呼んでもいいですか?」
「知るかよっ!あと、これはメンバーの誰にも話さないほうがいいぞ。表沙汰で大騒ぎすると逆にこじれるからな。裏でシレっと終わらそうぜ」
「ホントありがとうございます。あれ? 安心したら本当に涙がこぼれてきた…」
津雲がそれに答えなかったのは、すでにその場を去り始めていたからだった。
ただ、そんな面倒くさがりな津雲でも、途中で気付いたのだろう。
去り終えてしまう前に、巻の震えている右肩を軽くポンと叩いた。
シワの増えた大きな左手で一度だけ。
-f i n-
その後は数人の怖い人達から接触がありましたが、ボスの言う通りにやって、2か月程度で収まりました
これも一種のお守りみたいなものかしらね