こんにちは。
白金春香です。
初めに、今回の記事はタイトルにある通り、内容が重たく万人向けではないことをお知らせ致します。
さて、私が勤務する病院には、自死を試みて、幸い一命を取り留めた方達も複数おられます。
しかし、その後も再び自死を図るケースが多いのです。
では私達は彼らに、どんな心のケアーができるのでしょうか?
どのような言葉をかけるのが正解なのでしょうか?
私は、ずっとそれを考えてきましたが、いまだに答えを出せていません。
そして私は、すがるようにネッキャンミーティングの議題に挙げさせてもらったのです。
この記事は、いわゆる指南書ではありません。
メンバーの誰の言葉が正解であるかも分かりません。
ただ、同じ時代に生きる仲間として、「与えられた生を共に皆で全うしていきたい!」という私達メンバーの願いが込められているだけの記事なのです。
それでは早速、メンバーから預かったメッセージをお届けしますね。
あなたが今抱えている痛みや苦しみは、私が想像している以上だと思います。
真の意味で、私はあなたの辛さを理解できないのかもしれません。
それでも言わせて下さい。
「苦しかったですよね…」「辛かったですよね…」
そして、あなたが抱えている重荷については、一人で抱える必要はないのです。
今、あなたのそばに人はいますか?
まずは近くにいる人に寄り添ってもらってください。
一人で悩まずに、誰かに相談してください。
できれば信頼できる友人や家族です。
難しければ、先生や専門家、公的機関です。
あなたがそこまで追い詰められてしまうのは、そうなってしまう当然なことが起きていればこそでしょう。
ですから、あなたは言い訳も説明もする必要はないのです。
周りも問い詰めません。
あなたはただ、助けを求めればいいのです。
今のあなたに必要なのは、助けを求めることなのです。
安心してください。
今の社会は、あなたを決して見捨てませんよ。
いのちの電話: 0570-783-556
よりそいホットライン: 0120-279-338
こころの健康相談統一ダイヤル: 0570-064-556
あなたも僕も今の社会を構成している大切なパーツです。
もしかすると、お互いそこまで重要なパーツではないのかもしれませんがw、それでも欠ければ全体に悪影響が出てしまうものでしょう。
生きていれば、苦しいことも辛いことも虚しいこともありますよね。
でも、まずはパーツとしての義務と役割を果たしませんか?
どうせ僕もあなたも、古くなれば寿命というレッテルを貼られて交換されてしまうんです。
だから何も今、慌てて死に急ぐことはないんです。
人生、少しくらい手を抜いたってずる休みしたっていいじゃないですか。
それをしたって神様は命を取り上げようとしないじゃないですか。
大きなミスをしたって、社会全体でカバーしてあげますよ。
だから四の五の言わず、一緒にこの時代を生きましょう!
私が生まれた時、私はワンワン泣き、両親と祖父母は笑顔だったそうです。
だから私が死ぬ時は、せめて逆にしたいのです。
多分、周りは泣いてくれると思います。
そこで私は笑って感謝を述べ、人生の最後を迎えたいのです。
しかし自殺では、それを実現できません。
あなたが死を覚悟するほど辛い状態なのに、こんなことを言って申し訳ありません。
それでも私は、お願いするしかできないのです。
お互いまだ人生の時間は残されています。
あなたも、笑って最後を迎えられるようにしませんか?
きっと今、あなたの中に音楽は流れていないのだろう。
生きるとは心の音楽を流し続けることだ。
それは誰も見ることはできない。
しかし、見えなくても風は風車を回す。
それと同じだ。
あなただけに流れるオリジナルの音楽が、あなたの心を再び動かすのだ。
自分の中で何も流れていないなら、今は外から供給してもらえばいい。
貪るように聴いていけば、あなたの心を動かす音楽に出会えるだろう。
しばらくはその作業を繰り返して、あなたの心のエネルギーを増やしていけばいい。
いつかまた、あなた独自の音楽が自分の内から湧き出てくる日まで、音楽に助けてもらおう。
それも音楽の使命なのだ。
自分の命を大切にするとはどういうことでしょうか?
私は、あなたにつながる全てを大切にすることだと考えています。
あなたには必ず祖先がいて、親も存在します。
その親の子供であり子孫であり続けるのは、あなたしかできないのです。
どんなに演技が上手い俳優でもあなたの代わりにはなれません。
今の総理大臣も、あらゆる社長も無理です。
全ての職業に代わりはいるのですが、あなたの代わりになれる人間はいないのです。
あなたという役割を果たせるのは、あなたしかいません。
お願いします。
どうかあなたは、あなたとあなたとつながる人を大切にしてあげて下さい。
おいおい。
ポイ捨ては禁止と習わなかったのか?
お前がお前というゴミを勝手に捨てて、誰がそのあと始末をするのだ。
命をそこら辺に捨てるな。
お前よりひどいゴミの俺でさえ、醜くもがいて生きているんだから、あまり難しく考えるなよ。
お互い、与えられた「生」を全うすればいいだけなんだ。
昔、夫とやった漫才のワンシーンを紹介します。
こんな腐りきった世に適応している奴らのほうが異常なんじゃないかしら? そう、自殺するほうが正常なのよ!
いやいや、それなら世の中を正そうよw
多分、現実はこの漫才の通りなのでしょう。
間違えているのは、あなたではなく世の中のほうなのでしょう。
ですからあなたは死ぬ必要がないのです。
あなたはおかしくなんかありません。
自信を持って生きて下さい。
私はアホなので、世の中についてはよく分かりません。
ただ、「愛」と「笑い」のない人生に生きる価値はないと思っています。
おそらくあなたは、人生の中に「愛」と「笑い」を見つけられない、絶望の真っ只中にいるのかもしれませんね。
それはとんでもなく苦しいと思います。
私でも死がよぎるでしょう。
でも安心してください。
愛と笑いに関しては、世の中に関係なく、自分の力で生み出すことができるのです。
今からでも遅くありません。
あなたの人生に、少しずつ「愛」と「笑い」を増やしてみませんか?
あなたが死を選びたがっている最大の要因は、持って生まれた「性質」にあるのではないでしょうか?
かくいう私も先天的に「普通ではない性質」を持っています。
過去に通院していた時に担当医から聞いた話ですが、昔、「生まれてから30年間、ずっと死にたがっている患者さん」を診察していたそうです。
それはやはり、脳の異常であり病気なのだそうです。
どんな人でも辛いことや苦しいことはあります。
それでも死にたくなる人とならない人の違いは何なのでしょうか?
私の担当医は、環境よりも「本人の持って生まれた気質によるものが大きい」と言っていました。
あなたはすぐに病院に行ってください。
人は「生きたい」と思う生き物ですから「死にたい」と考えている状態が病気であるのは、私でも分かります。
私は病院で救われた人間です。
あなたも専門家の治療を受けることで、状況を改善させることができると固く信じています。
僕はよく人から「そんなにマイナス思考で生きてるの辛くない?」と聞かれます。
正直、生きることのほうが辛いと感じた時はあります。
でも最近は、マイナス思考の人ほど自殺はしない気がしています。
辛いことへの耐性が人よりありますし、DNA保存の力も強いからです。
では、今のあなたに試されているのは何でしょう?
「DNAを子孫へつなげる生存本能?」
「為すべきことを為すまでは死ぬわけにいかないのだという使命感?」
「周りとの絆?」
「人との情?」
人によって異なるでしょうが、どうか死ねない理由をたくさん思い出してください。
それらが総合的に絡み合えば、あなたには違う道が見えてくると思います。
俺は、死んでもいいと思いながら今日までやってきた。
いつ死んでも後悔しないと。
死はいつも俺の近いところにあった。
そう、生まれた直後から。
だからギリギリのところを攻めて、その結果、命を落としたとしても、俺としては本望だった。
実際、今生きているのは、運が良かっただけなのか?
それは分からない。
そんな俺だからこそ、あなたに伝えたい。
あなたが命を捨ててもいいと思っているならば、その命をかけてチャレンジをしてみてはどうだろう?
人間、死ぬ気で物事に取り組めば、たいていのことは何とかなるし、何か新しい視点が増えるかもしれない。
そしてその新しい視点は、あなたが新しく「生まれ変わった証」となるかもしれない。
かの坂本龍馬は「たとえ道の途中で死ぬことがあっても、せめて前に倒れたい」という言葉を残した。
今あなたの近くにある死は、前に進む死なのか? それとも後ろへ逃げる死なのか?
どうか世界のためにもあなた自身のためにも、もう一度、チャレンジをしてくれないだろうか?
俺はあなたに、一度でいいから「死ぬ気でやってみた時間」を体験してほしいのだ。
俺は、二つのことを断言しよう。
死ぬ気で挑戦している間は、自殺をすることができない。
そして「死ぬ気でやってみた時間」を体験したあなたの心には、劇的な変化が起きる。
それらをぜひ感じてほしいのだ。
人には、思い出せる昨日があります。
苦しい今日もあるでしょう。
そして明日はまだ見えません。
自分が生まれる前から延々と昨日は続いてきました。
自分が死んだ後も、明日は延々と引き継がれていくでしょう。
世界が同時に終わるなら、全ての人間が同時に亡くなるのならば、あなたは完全に自由です。
しかし、その可能性は極めて低いのです。
あなただけが今日、自分の意思で消えてしまうなら、残された人の傷はそれぞれが死ぬまで消えることはありません。
全員、平等に明日はきます。
だからこそ、皆の明るい明日を奪ってしまうことは許されないと思います。
どうか明日をイメージして下さい。
戦争が最も愚かな犯罪ならば、自死は最も悲しい犯罪となるのです。
僕のキャッチフレーズは「転生チートきぼんぬ」です。
簡単に言うと、「現世は諦めて、生まれ変わったら凄い能力を持って面白おかしく生きたい」という希望です。
しかし自殺はダメです。
自殺では転生できないと思います。
僕は能力値が低くダメダメ人間ですが、自殺したいと思ったことはありません。
苦痛だらけで死にたいなら、快感を増やして死にたくないようにしています。
今は向上中、成長中、吸収中だから死ぬのが勿体ないようにしています。
何をやっても上手くいかなくても、まだ世の中ですべきことがあるから死なないようにしています。
必要とされている場所をあえて作って死なないようにしています。
やりたいことを増やして生きたいエネルギーを上げています。
本当のことを言えば、来世があるかは分かりません。
転生希望も、現世を少しでもより良いものにするための方便なのかもしれません。
きっとあなたは僕なんかよりずっと優秀でしょうから、現世をよくできる工夫もたくさん残されていると思いますよ。
私は昔から、生に執着していない。
自殺願望はないのだが、「自殺はNO!」を一方的に突きつける社会を上手く理解できてもいない。
下手をすれば「生に執着する醜い人間が、自らを正当化するために言っているだけでは?」と勘ぐりたくなる時もある。
社会とは本当に勝手で理不尽だ。
車道に倒れている人、川でおぼれている人を見た時、あなたは自分の命を顧みず、そこへ飛び込めるだろうか?
それで死ぬのも、ある意味、自殺だろう。
自分のために自分の命を捨てると批判され、人のために命を投げ出すと称賛される。
結局、世の中の本質は「自己保身」なのではないか?
だからこそ、あなたの死が叩かれ周りを悲しませるだけになってしまうのは忍びない。
それだけは本当にやめたほうがいい。
そして…人生とは本当に不思議だ。
自分のために生きていると命を投げ出したくなる時があり、世のため人のため命を投げ出すように生きていると、生きる活力自体が増えていく。
これは一体、何なのだろう?
本当によく分からないことだらけだ。
私はできるだけ、自殺してしまった人を哀れまないようにしています。
心底では悲しいですし同情もしますが、これをやり過ぎると死んだほうが正義で死なせたほうが悪という流れができてしまうからです。
私は自殺を称賛しませんし、背中も押しません。
いかなる理由があろうと自殺を選ぶのは良くないことですから、私は怒りの感情を出します。
日本で「自殺は悪」との風潮が根付いた時、(特にいい人の)自殺者は減るのではないでしょうか?
「自殺は周りへマイナスの影響を与えるだけの迷惑行為です!」
この言葉が、いい人であるあなたへ届くことを願っています。
あなたは今、世界の100人に聞いてくれませんか?
「自分は死んだほうがいいですか?」と。
もしあなたが、「YES」と答える人が多いと思い込んでいるならば、その時点で正常でないのは確定です。
100%ありえません。
世界はおかしくなっているけど、そこまで腐ってはいません。
私みたいな若輩者が言うセリフではありませんが、あなたの今の問題は真実が見えていない点にあるのではないでしょうか?
自分の妄想に支配されている点ではないでしょうか?
少なくてもここのメンバー全員は、同じ時代を共に生きる仲間であるあなたに「生きてほしい!」と心から願っているのです。
この記事を読んでいる殆どの人達も同じ気持ちだと思います。
どうかそれに気付いて下さい。
世間には殆ど知られていないが、実は「消極的な自殺」なるものも存在している。
そしてその多くは「事故死」として扱われている。
例えば私。
昔、私には、とてつもない自己嫌悪に苛まれていた時期があった。
起きている間、いや眠っている時でさえ、苦しい気持ちから解放されなかった。
そんなある日、環状7号線をバイクで走っていると、横を走っていた大型トラックが左折か停車をしようとしたのか、自分のほうへ幅寄せをしてきた。
それは分かっていたのだが、なぜかそれをぼんやり感じるだけで、私は回避行動を全く取らなかった。
トラックが自分の右肩に強く接触した時<あぁ、死ぬんだなぁ>と実感した。
その直後だ。
トラックが急ブレーキと急ハンドルで、急速に自分から離れていったのは。
結果として私は死ななかった。
死の恐怖を感じたのは、問題の自己嫌悪がおさまった3か月後だった。
あの時死んでいたら、世間では事故死と判断されるのだろう。
しかしその本質は「緩やかな自殺」なのだと気付いた怖さだった。
同時に思ったのだ。
世の中には、実はたくさんの緩やかな自殺があるのだろうなと…。
後から思えば、バイクに乗っていたあの時は、通常の精神状態ではなかった。
言い換えれば本当の自分ではなかった。
何か死神に体を乗っ取られているような感覚。
正常な思考ができない状態だった。
だからこそ、あなたには気付いてほしい。
「本当の自分」の状態で、もう一度、生きることを考えてみてほしい。
気を許すと、死神はスッと心の隙間に忍び込んで来るのだ。
動物は自殺をしない。
自殺とは、人間だけに許されるとする思い上がりだ。
そもそも自分の身体や命が「自分のもの」という考えがおかしい。
自分の体は預かりものであり、命は与えられているものだ。
断じてあなた1人のものではない。
あなたは自分の意思で生まれてきたわけでないのだから、自分の意思で死ぬな。
あなたが自分の意思で心臓をとめられないならば、どうかそれが自然と止まる日まで生きてほしい。
今、あなたよりもっと大きな力が、あなたを生かそうとしているのだから、逆らわず、ただそれに従えばいいではないか。
世界はあなたをあなたの姿として生かしている。
それが単純な答えであり、宇宙の摂理なのだ。
あなたが仮に大きな過ちを犯し、「死をもって償う」と考えているならば、それは明確に間違っています。
償いは、被害者の損害を回復する行為ですが、加害者が死んでしまっては責任を果たす機会を永遠に失ってしまいます。
当然、死によって償いが完了するという考えに被害者は納得しません。
むしろ、さらなる苦しみを与えることがあります。
また、死を選んでしまうと、問題の根本的な原因や背景に対する理解が進まないままになります。
これは、今後も社会は同様の問題が再発するリスクを高めることになります。
最後に一番言いたいことです。
死んで償うほどのミスや罪など、この世には存在しません。
私は長い間、現場にいましたが、死刑という野蛮な制度は殺人罪でしかないと反対してきました。
だからこそ、あなたがどんな罪を犯しても、周りに顔向けできなくても、自死を選ばないで下さい。
それは最も意味がなく、先につながらなく、誰のためにもならない選択なのです。
君が一人で人生を作ってきたなら好きにしていい。
元に戻せるならば、何度自分を壊しても構わない。
悪いことは言わない。
それができないのならやめておくべきだ。
君を作るのに、何世代の命を積み重ねてきただろう。
君を育てるのに、どれだけ多くの人の労力と愛情が関わってきただろう。
もちろん、君には心から同情する。
死にたいと考えてしまうのは、君一人のせいではないから。
それだけのことが起こったのだし、DNAに何かしらの原因があるのかもしれないし、君に関わる周りの環境のせいかもしれないから。
だから、それらを1人で背負って死ぬことはない。
先祖のせいでも周りのせいにしてもいい。
文句を言いながらでも生きてやれ。
死にたいと思うことは、何も特別なことじゃない。
そう。君だけじゃないんだ。
皆そうやって、何とかギリギリ生きているんだ。
どうかあなたに僅かでも光が射し込みますように…